ノート

| 項目 | 内容 |
|---|---|
| タイトル | ニーチェのように愛し、セネカのように賢く |
| 著者 | ユン・ジウォン |
| 出版社 | ユンノチェクジュ |
| 出版年 | 2024年 |
| 評価 | ★★★☆☆ |
読書感想
哲学が見えてくる瞬間
世界を多角的に眺める方法
考えが多くなる瞬間がある。
誰かと葛藤を起こしたとき、自分の状況が思いどおりにならないとき。何か、人生がもつれていくように感じるとき。
考え込みやすい自分の性格のせいなのか、こういう瞬間が来ると、知らないうちに深く考え込んでしまう。
深い思考が、ときには答えを出してくれることもある。けれど、世界を見る視野を狭くし、たいていは偏見や否定的な考えへとつながっていく。
哲学書を読むたびに、誰が誰なのか分からなくなるし、誰がどんな考えを主張したのかも記憶にあまり残らない。
それでも読むのは、視野が狭くなる瞬間に、自分が抱えている問題について他の人たちはどう考えたのかを知り、自分とは違う観点から問題を眺め、考えることができるからだ。
本についての簡単な話
こういう類の本がそうであるように、この本もまた、ある問題状況を提示し、それに対して特定の哲学者が行った思考や考えを紹介する。
そして、その問題についてどのように考えてみることができるのかを語ってくれる。
表紙に書かれている「人生のすべての答えは哲学にある」という言葉については、正直よく分からない。
哲学者たちの言葉すべてに共感できるわけでもないし、首をかしげるものも多い。
けれど、表紙や本が言っていることが、哲学者たちの言葉の中に正解がある、という意味ではないのだとしたら。
自分が思索することそのものが哲学であり、その中に答えがあるのだとしたら、合っているのかもしれない。
本を読みながら、自分が抱えているいくつかの問題について、普段なら考えられなかった方向から悩んでみることができたので、それについて簡単に書いてみたい。
自分が持っているいくつかの考え
最近、メンタリングやコーヒーチャットなどをよくしている。
どうやって就職されたんですか?どうやってそんなに早く成長されたんですか?
メンタリングをしていると、いつも聞かれる話だ。
これまでの日々を振り返ってみると、私は次のような原則を持って生きてきたように思う。
1. 考えることは、行動することよりも多くのエネルギーを消費する。だから、まず行動する。
考えが多くなると、結局どんな方向であれ悪く作用することが多かった。考えただけで「自分はもう全部やり遂げた!」となることもあったし、逆に「どうせ無理だろう……」という感じを受けることもあった。ときには巨大な壁のように感じられることもあった。だから、考えるより先に行動することに決めたし、その決断が決定的な瞬間に自分を輝かせてくれたように思う。
2. 仕事を小さく分ける。そして、いちばん小さなことを頭を空にして実行する。
同時にいろいろなことを始めてしまう場合が多い。一つひとつだけを見れば解決できることなのに、それらが一つに重なった瞬間、問題になる。なぜだろうと考えてみると、それが巨大な壁のように感じられ、あまりにも多く感じられることで、その重さに圧倒されてしまうのだと思う。
こうなると、物事を台無しにしてしまいがちだ。
だから、いつも仕事を小さく分けて、一つずつクエストをクリアするような感覚で進めるようになった。
3. 自分が思い描く理想像を、どうにかして達成しようとしてきた。
生きていると、そういう瞬間が時々訪れる。
あれ……?これ、こうすればできそうだけど……?
そして、こういうものは結局タイミングの勝負で、タイミングさえうまく噛み合えば、たいていは成功する。
代表的な例として、AI時代になって急激に変化していると言われるけれど、その変化と変化のあいだにあるものがまさにそうだ。
~~自動化ツールを作ったとしても、明日になればAnthropicやGPTなどから新しいツールが出てくる。だからこういうものは一瞬だけ輝く要素であり、インパクトを出すためには、他のところから似たものが出る前に出してしまい、似たものが出てきたら捨てる、というような戦略が必要になるときもある。
このように、最近、自分がインパクトを出せると感じるアイデアの多くは、タイミングなのだと感じる。
本を通して広がった考え
こうした考えを持ちながら、この本を読むことになった。
最近自分が感じている、何か分からないけれど物事がもつれていくような感覚と、無気力さ。退屈さ。
その解決の糸口を、何か見つけられるのではないかと思ったからだった。そして思いがけず、いくつかの考えを持つことができた。
オッカムのウィリアムの思考の剃刀
人生は複雑ではない。複雑なのは私たちだ。人生は単純だ。そして、単純なものこそ正しい。
私は普段から考えが多い。そして最近は、とくにこの傾向が強くなり、何かをすることができず、考えてばかりで過ごしていたように思う。
先に話した1、2、3の考えが適用されない瞬間が訪れるのだが、今がまさにそういう状況だったのだと思う。
そんな中で、オッカムのウィリアムについての内容を読むことになった。思考の剃刀というものらしいが、不必要な仮定を解体し、経済性の原理を持つという意味だった。
考えてみるとその通りだと思い、自分の内面に一つの剃刀を備えることになった。
ウィトゲンシュタインと言語
私の言語の限界は、私の世界の限界である。
自分が本を読む理由を整理してくれる一文だった。
自分が見ている考え、経験してきたことは限られている。もう少し広い視野を持つため、多角的に見るために本を読み始めたのだが、それは上の言葉で説明できるように思う。
結局は自分の限界、自分の器を広げるために本を読むということ。こういう観点なのではないかと思った。
フランクルのロゴセラピー
人生に意味があるのかと問う代わりに、毎瞬間に意味を与えるのは私たち自身である。
ここでは、アウシュヴィッツのユダヤ人の話が出てくる。アウシュヴィッツでどうにかして生き残ろうとしたユダヤ人。反対に、生きる意欲を失ったユダヤ人。そしてその中で、私たちはどのように逆境に向き合うのかを問うていた。
「人生の意味は作るものではなく、発見するものだ」という言葉が、かなり胸に響いた。
結局、同じ出来事を見たとしても、その中に意味を見出そうとすれば、何かしら見つけることができるだろう。そうでなければ、ただ通り過ぎていく出来事にすぎない。
自分が歩んできた過程もまた、どうにかして進む過程の中で意味を見出そうとしてきた。そうしているうちに、ここまで来ることになった。
こうした考えを上のように表現できることが不思議で、それを通してあらためて自分を観照することができた。
その他の考え
最近、哲学に関するものをいろいろ読んでいて、毎回受け取り方が違うのだと感じる。
自分のその瞬間ごとの状況もあるだろうし、精神的な成長も影響しているのだろう。
文章を書きながら感じたのは、最近の自分の悩みは、自分自身の成長だったのだろうということだ。目標。目的。そしてその中でどのように遂行していくのかについての考え。
おそらく本を読み返せば、響いてくる文句は大きく変わるだろう。この本もまた、一、二度はさらに繰り返し読んでみたい。
